おりく(山田五十鈴)たち必殺仕事人は、6人のチームを組み、たいていいじめぬかれて殺されてしまう弱い立場にある者たちの恨みを、本人からお金をちょうだいして裏家業で晴らしている。
しかし金さえもらえれば何でも請け負う単なる暗殺者ではない。
わずかしかお金を出せない者の恨みも納得がいけば請け負うのである。
おりくの表家業は三味線と小唄の師匠であり、チームの元締めも務めている。
裏稼業のおりくは三味線の撥(ばち)で相手を倒す
刀に仕掛けられた笛を吹いている夢操りのお京(秋野暢子)とおりく(山田五十鈴)
ある時、おりくたちと同業の仕事人の夢操りのお京(秋野暢子)と言う女が江戸に現れた。
おりくの配下にある秀(ひで 三田村村邦彦)・勇次(おりくの息子の遊び人、家業は三味線の修繕)、順之助(ひかる一平 現代で言うところの医学生)の男たち3人は、枕の下に敷いて寝るとよい初夢を見ることが出来ると言う宝船の絵を夢操りのお京に売りつけられ、その妖しい魅力にあらがうことが出来ずに買ってしまっていた。
彼らは、おりくや仲間を殺す悪夢にうなされ、そのことをおりくや仲間たちに話して警戒していた。
うるさい小言を言う姑と妻を持った中村主水(藤田まこと)だけはなぜかお京の催眠術にはかからないし、女性の何でも屋の加代もかからないところが何となく理解できておもしろかった。
夢操りのお京の目的は、おりくを殺し、自分が元締めになることだった。
お京の刀に仕掛けられた笛の音は、ヒュヒュヒュヒュと早回しで繰り返され、音程は妖しくゆっくり上下し、まるで石笛のような鳴り方をしていた。
お京に催眠術をかけられた秀と勇次と順之助は味方を倒そうとして襲ってきた。
迎え撃つおりくの三味線のガンとしたはりとパンチのある音色がお京の笛の音を組み伏せた時、3人の催眠は解け、我にかえることが出来た。
おりく(山田五十鈴)の三味線は、天国も地獄も味わい尽したような人間としての幅が広い音色で堂々としていた。
劇中小唄もよく唄うが、毒にも薬にもなると言う感じで凄い。
鹿蔵(中村鴈次郎)の元締めも清濁併せ持っていて一言一言が幾とうりもの意味を持ち味わい深かったが、女房のおりく(山田五十鈴)の元締めも凄味があり、いつとは知しれず闇の中へ引き込まれるような声も余韻を残す。
婿養子の八丁堀と呼ばれる町方の同心中村主水(もんど 藤田まこと)と姑のせん(菅井きん)と妻のりつ(白木万理)との面白おかしいやりとりは、番組の息抜きシーンで軽やかな音楽に乗って始められる。
広目屋(広報・チンドン屋)の玉助(梅津栄)はホモ役で、順之助(ひかる一平)をじゅんちゃーんと言って追いかけ回すのでとっても面白い。
楽しませてもらっています。
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江戸の仕事人おりくの三味線 必殺仕事人Ⅳ-11「秀催眠術をかけられる」
キャスリーン・バトルが歌う映画「ラーバーズ」の主題歌を聞きたい
生きつないでいくために分散されてしまった時間の中であたふたしていますが、時折息を吹き返すように物語の中から大嵐のようにやってくる劇的な歌が聞きたくなります。魂を揺さぶられるので生き返ったような気がします。
映画やテレビでは相変わらず「必殺仕事人」に魅了されています。
三味線修理屋の勇次(中条きよし)の歌う劇中歌「風が泣く時」は渋くて色っぽく聞き惚れます。
寄りあい制の詩誌を配布し終えてほっとしています。
キャスリーン・バトルの歌「ラバーズ」
ユーチューブの歌
(埋め込みが出来ませんでしたので)下をクリックして下さい。
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http://www.youtube.com/watch?v=WRWo8848cSU
キャスリーン・バトル(ウィキぺディア)
下をクリックhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AB
映画「ラ―バーズ」(ウィキぺディア)
右をクリックhttp://ja.wikipedia.org/wiki/LOVERS_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
サラ・ブライトマンが歌う「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」も聞きたい
埋め込みが出来ませんでしたので右をクリックhttp://www.youtube.com/watch?v=vl6h7UWo1_Q
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ダーク・ファンタジー「マレフィセント」 ああ16年間
内容に触れています
たいてい人間の王と言うものは、他国に攻め入り領土を広げたがるものだ。
マレフィセント(アンジェリーナ・ジヨリー)はやさしく美しい妖精で、妖精の国を人間のヘンリー王の侵略から守っていた。
妖精の国を守るためにヘンリー王に重傷を負わせたマレフィセントは、王から魔女扱いを受けた。
マレフィセントの側からして見れば不本意なことである。
ヘンリー王はマレフィセントを殺した者には王位を譲り、娘と結婚させると言うおふれを出した。
マレフィセントは若いころ人間の少年ステファンと恋に落ちていたのだが、権力志向の強かったステファンは、ヘンリー王のおふれに飛びつき、マレフィセントを裏切って彼女の美しい翼を奪い、王位を手に入れるために王の娘と結婚したのだった。
ステファンは今風に言えば、規模は小さくなるけれども、恋人を捨て大富豪や社長の娘と結婚し、何食わぬ顔をして社長におさまる料簡の持ち主だったと言えないだろうか。
やがてマレフィセントを裏切って王国の婿の地位を手に入れたステファン王にも美しい娘が生まれオーロラ姫と名付けられた。
オーロラ姫は「眠れる森の美女」の物語の中の眠り姫のことである。
恋人の裏切りによって目がつり上がり、頬骨が高くなり、恐ろしく冷たい容貌と化してしまったマレフィセントは、招待されなかったオーロラ姫の誕生祝いの席に現れ、姫が16歳になった日に糸車の針に刺され、「真実の愛(愛する者のキス)に出会わなければ永遠に眠り続けるだろう」と言う呪いをかけた。
子育てに不向きなとんでもない妖精たちによって森の家で育てられるオーロラ姫から目が離せなくなったマレフィセントは、彼女を16年間見守り続け、あまりにも無垢な幼いオーロラ姫に「抱っこ」と言ってしがみつかれ抱き上げて以来、オーロラ姫に慕われることによって母性を引き出されてゆく。
横道にそれる話しかもしれないが、愛人に妻と別れると言いながら別れられもしない男に、妻との間に娘が生まれた。
その赤ん坊を愛人が連れ去り、愛しみながらいっしょに生活をし、何年も逃げ続ける「8日目の蝉」の女性には胸が痛む。
糸車の針に刺されて眠りについたオーロラ姫は、森で出会っていた隣国の王子のキスには目覚めることが出来ない。おやおや真実の愛ではなかったのだろう。話が違うんではないのとあきれるところだが何と言う面白さだろう!
マレフィセントが自分を裏切った男の娘、見守っているうちに愛してしまったオーロラ姫の枕元で大粒の涙を流す。
オーロラ姫は目覚めるのである。
花火や爆竹、雷を恐れるカンチ!食が細くなっていますが・・・・
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痛快娯楽「超高速!参勤交代」 幻の金山のおかげで閉所恐怖症が治った
内容に触れています
今より279年前の江戸時代享保20年、藩主(大名)の内藤政醇(佐々木蔵之介)は、参勤交代で江戸から国元の貧乏藩(磐城国 湯長屋藩)に戻った。
この藩主は幼少の頃に継母から倉に閉じ込められたトラウマで、閉所恐怖症となり、狭くて暗い場所には1人ではいることが出来ず、藩主が乗るはずの駕籠には、猿の菊千代が乗り、藩主は馬に乗ると言う道中だった。
この藩主はとても親切で人がよく、飢饉の時には隣の大名に米を送るような人物であり(こちらが困った時に恩返しされて助けられるのだが)、地元でとれる大根の漬物が好物であった。
剣術の腕は確かなもので、忍者たちをもバッタバッタと倒してしまうのだった。
前置きが長くなってしまったが、ことの起こりは参勤交代で国元に到着したばかりの藩主が、国元の山で金が採れることを聞き知った(ほんとうは金は出ない)江戸幕府の老中の松平信祝(陣内孝則)からもう一度参勤を、普通では8日かかるところを5日でするようにと命令されたことだった。(参勤→江戸へ行く 交代→国元へ帰る)
偏執狂の老中の松平はたった5日で成功するはずのない参勤をとがめだてし、藩をとりつぶし金山を我がものにしょうと言う魂胆だった。
兎に角、いつも行列や敵味方の忍者や関わりのある誰かが、山や海や道や橋を走っていて江戸へ江戸へと気が急(せ)くのだった。
藩主の内藤政醇が出会った飯もり女のお咲(深田恭子)の気風(きっぷ)のいい啖呵は気持ちよかった。
相棒(妻や夫)には指圧やマッサージのうまい人を選ぼう!
追手から隠れるために、藩主はお咲と暗い押し入れに隠れる。すると閉所恐怖症が治っていたのだ!
時の将軍の徳川吉宗や老中首座(石橋蓮司)は、初めから老中の松平信祝の悪だくみをあばきだすために、見守っていたのだった。
神戸浩(農民の茂吉)の独特な味のあるナレーション(かたり)には耳を傾けてしまうのだった。
お咲は藩主の側室になるのだが、この時代だからすんなりと行っただけで、今の時代なら側室は問題でしょう。
★ユーモアと娯楽は人生においてものすごく必要だと言うことが今更ながらよくわかります。
★ブログ拝見が遅くなり申訳ありません。必ず訪問させていただきます。
柴犬カンチの足跡日記
一つ前の記事では、太陽さん!殺す気なの!と叫んでいます。
今回はお風呂模様です。
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ジブリ最新作「思い出のマーニー」 血族の愛
完全に内容に触れています
どこかで聞いた事があると思われた歌や流れる曲は「アルハンブラ宮殿の思い出」でした。
喘息の転地療養のため、ひと夏の間だけ12歳の杏奈(アンナ)が、養母の親戚のある北海道の海辺の村にやって来て、古ぼけた洋館(湿っ地屋敷・しめっちやしき)に住む少女マーニーと時を越えて出会うお話である。
杏奈は、自分を育てるために養育費を受け取っている養父母を許せない自分のことが大嫌いだった。
古ぼけた西洋館
杏奈は散歩の途中で、誘いこまれるように古ぼけた西洋館(湿っ地屋敷)を見つけマーニーと言う金髪の美しい少女に出会った。
マーニーは杏奈の実の祖母であり、時空を超えて西洋館で出会ってしまったのだった。
マーニーの父母はマーニーが幼いころから、仕事や海外旅行を理由に舞踏会を開く以外にはほとんど家におらず、マーニーの不安は、ばあややメイドから受けるいじめによって強くなるばかりであった。
マーニーは雷が落ちる暴風雨の中、ばあややメイドからサイロに閉じ込められ、少年が助けに来る(後日マーニーはその少年カズヒコと結婚する)と言う体験から来た悪夢にうなされていた。
このシーンはマーニーと杏奈が悪夢を共有する場面であるが、途中で杏奈がいなくなるのだった。
マーニーの少女時代に杏奈が入り込む時にはそこに確実に存在すると言う感じになるのだが、はっきりした理由はわからないがサイロにいる時には杏奈の影は薄いように感じられた。
両親の愛情を一身に受けられず、不安な体験をひきずったまま大人になれない少女たち(マーニーと杏奈)は西洋館を軸にした異空間で会い続ける。
杏奈のスケッチブックに描かれたマーニー
杏奈は画家の久子さんから、結婚後のマーニーが病気で夫を失い、病気がちなマーニーが寄宿学校に入れざるをえなかった娘のエミリとは不仲であり、エミリ夫婦が孫娘を残して交通事故で亡くなってしまったことを教えてもらう。
西洋館を買い取った家族の娘のさやかから今は亡きマーニーの日記を見せてもらったりもする。
私(ブログ主)は、ちゃめっけがあり明るい性格のさやかの登場でさわやかな現実感を取り戻すことが出来た。
孫(杏奈)とマーニー(今は亡き人)は西洋館で出会いお互いの愛情を確かめ合い許しあいます。
代々続いてきた家族たちの犯した罪(足りない愛)によって枯れて行った心を見つめ直し、そのことを気づいた血族たちが2人の声を借りて許して欲しいと叫びあう(ブログ主にはそう思えた)のはほとんど祈りだった。
やわらかく輝かしい表情のマーニーは西洋館の窓辺で杏奈にお別れの手を振ります。
この後、杏奈の養父母との関係も、転地療養に来た土地で知り合った近所の少女との折り合いも改善された。
小説やアニメの夢の中でこそ出会える西洋館のできごと。
現在生きている人間が、過去の肉親に会って伝えたかったことをお互いに伝えあう。
ほんとうに亡くなってしまった血族に会えたらどんなにいいだろうと思ってしまった。
杏奈とマーニーが会えたのは、奇しくもお盆の行事である「ローソクおくり」(先祖の霊を迎え入れる)の日からでした。
★最近見た劇場映画 「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」 「アナと雪の女王」
よい意味で、いかにもと言う強調が感じられました。
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中村吉右衛門(二代目)の「鬼平犯科帳」 その(1)
時代小説 池波正太郎
何よりも江戸の火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)の長谷川平蔵の包容力と寛容な人間性と鋭い観察眼の魅力で成り立っているような物語である。
長谷川平蔵の恐れを知らない瞬発力と事件の流れの背後にある人の心理を汲み取る力は無頼派であったころの体験に培われている。
長谷川平蔵は京都西町奉行の息子だったが、妾腹であったため、もろもろの事情により、若いころは無頼漢として放蕩三昧の日々を送っていた。
筋の通った義侠心を持った盗賊や平蔵のために働く密偵たちの家族のことまで気遣いを見せ、密偵が殺された後の家族の面倒まで見ている。
物語の中の人物に対してしてどのような言葉使いをしどのような配慮がなされるのか楽しみになるくらいだ。
第1シリーズから第9シリーズまであり(130話ほど)、スペシャル版もけっこうあるので(15話ほど)まだ見終わっていない。
30話ほど見た中で印象に残ったのは、幼い娘のために命を失う元盗賊(火野正平)の話「影法師」。
もう一つは夫婦になる約束を交わした旅商いをしている男(小澤征悦・盗賊と商人の2役)が自分の夫を殺したおたずね者の盗賊熊五郎なのかもしれないと言う疑いを持ったお延(寺島しのぶ)の話「熊五郎の顏」だった。
心が揺り動かされる手短には語れないもったいない話味わい深い話なので後述しようと思う。
いずれ劣らず心に深く残る物語なのだった。
鬼平を助ける密偵を務めるおまさ(梶芽衣子)や小房の粂八(蟹江敬三)、伊三次(三浦浩一)の江戸時代の言葉が心の内容をずばり言い当てていて気持ちよい。
目をつけた商家に盗賊たちが盗みに入るために、仲間を奉公人として何年も前から内部に送りこむことを引き込みと言い、家の間取りや奉公人の数を外部から探るのを嘗役(なめやく)と言って、嘗役が持っている書きつけ(ノート)は売り買いされる。
昔も今も情報は売り買いされている。
エンデイング曲 「インスピレーション」 ジプシー・キングス
春夏秋冬の庶民の生活を背景にしている。
柴犬カンチの足跡日記 お盆を過ごすカンチママがかわいい。
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鬼平犯科帳その(2) 「むかしの男」1-19 鬼平のかっこいいせりふに魅了される
原作・池波正太郎の時代小説をテレビドラマ化した鬼平犯科帳の台詞はほんとうに心にしみる。
個人的な好みは鬼平(長谷川平蔵)を二代目中村吉右衛門がやっているのが好きであり、見あきないので途中で切り上げたりしないで済む。
鬼平が周囲の者に心を砕き温かく包み込むところにほろりする。
池波正太郎の「剣客商売」や「仕掛け人・藤枝梅安」も面白いので並行して見ている。
いずれの物語も江戸時代の旨いものが出て来て献立をとうとうと述べみんなして美味しく食べるので、うらやましく
見とれる。
ひとくせもふたくせもある盗賊たちが数多く現れ、鬼平と絡んで立ち回るので見逃せない。
鬼平の妻 久栄(ひさえ) 旗本の娘 多岐川裕美
鬼平は盗賊をとらえるために甲州へ行って留守にしていた。
さて久栄がまだ若い頃、隣家の侍の近藤唯四郎にもてあそばれて捨てられていた。
近藤唯四郎は悪行がたたり、落ちぶれ果て、今では盗賊の手先になり、盗賊改めに捕まった仲間を取り戻すため久栄に言い寄り、さらに遊びに来ていた久栄の妹の子供と女中をさらったのだった。
近藤唯四郎は凛とした久栄には相手にされず、家来や息子によって捕えられ蔵(牢)に入れられるのだった。
鬼平のかっこいいせりふには胸のすく思いがする。
もどってきた鬼平と捕えれられたむかしの男の近藤唯四郎の会話が捨てがたい。
蔵(牢)の外では久栄が2人の会話を聞いていた。
鬼平 「何がおかしい」
近藤唯四郎 「久栄をはじめに女にしたのはこの俺だ」
鬼平 「それがどうした、だからどうだと言うのだ。
そんなことは百も承知だ。承知の上で久栄を娶ったんだよ。
久栄はおもちゃにされ、傷ものにされて捨てられた。
だがな、久栄はおれの女房となって、生まれ変わったのだ。
おめえの覚えている久栄は抜け殻同然の女だ。
あの時、久栄の親父殿がもう嫁にやれぬとあんまりこぼすんでな、よしそんならおれがもらおうと
言ったんだ。
よくよく考えて見ると、とうの昔から久栄に惚れていたんだな。はははは。
惚れなきゃあ駄目だ、女にゃあ心底惚れなきゃあ、女のほんとうの値打ちはわからねえ。
俺もお前さん同様さんざん道楽はしたが、命がけで惚れたのは久栄たった一人だ。
久栄をほんとうの女にしたのは、この俺だ。
それがわかっているのは世の中、俺と久栄のたった二人きりだ。
こののち2人の間で近藤唯四郎のことが話題になることは一切なかった。
柴犬カンチの足跡日記 何時も可愛いカンチちゃんから目が離せない
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「春夏秋冬そして春」 キム・ギドク監督
韓国映画「春夏秋冬そして春」
監督 キム・ギドク (1960年生まれ)
2003年 102分 カラー
原 みつるさん作
異端児、鬼才と呼ばれているキム・ギドク監督は、世の中で起こり得ることを、きれいごとで済まさず、しかも現実と幻想の溶け合った芸術的完成度の高い映像美の作品にしている。(古代的な霊的感覚が背後にある)
彼は、工場労働者、海兵隊、牧師志願、パリで画家修業、脚本家を経て35歳で監督になっており32歳までは映画を見たことがなかったと言う。
キム・ギドク監督の作品では、理不尽な事件や常軌を逸したことがらの展開が次々に起こるが、それは監督が、殺人やいじめや強姦や監禁の愛好者であるからではなく、映画に必要な場面だから撮影せざるを得ないのだ。
そう言うことをないもののように無視するのではなく、日常的な意識にのぼらせておくことによって、かえって配慮の行き届いた判断が出来るようになるのだと思う。
キム・ギドク監督は、娯楽大作レベルの「グムエル・漢江の怪物」(ポン・ジュノ監督)が多くのスクリーン奪ったことを批判し、韓国映画界から身を引くと宣言していたが、そのあと謝罪した。
監督を止めるわけではないので安心した。
(ひとりごと)
キム・ギドク監督を大嫌いな友人がいて、その人の個人雑誌のために書いたのだが、載せてもらえなかったので、こちらに掲載した。
「鬼平犯科帳」はただ今DVDで続けざま見て楽しんでいるところなので、ブログ紹介はのちほど!
映画ストーリー「春夏秋冬そして春」
~春~
山奥の湖に浮かぶ寺で生活する老僧と、一人の少年僧の人生の春夏秋冬の物語。
人間の罪の愚かさと愛しさ、その苦しみの美しさに感じ入った。
子供の僧が、魚や蛙や蛇に石を結びつけて無邪気に遊んだ日、寝ている間に老僧から背中に石を結びつけられ、翌朝目覚めて彼らの苦しみを知る。
子供僧「背中に石が生えちゃった 早く取ってください」
老僧「どうだつらいか (魚も蛙も蛇も)苦しんでおる 探し出して石を取ってやりなさい。もし3匹のうち1匹でも命がなかったら、お前は心の中に石をかかえて生涯を生きるのだ」
魚と蛇が死に、子供の僧は結局、石をかかえて生きて行くことになるが、泣き叫ぶ子供僧と一緒に、まるで自分のことのように泣いた。
石をかかえていない人はこの世にはいないだろう。
クリスチャンのキム・ギドク監督がインタビューに答えていたが、仏教は宗教と言うより習慣や文化だと考えているそうで、美しい四季と一人の少年が大人になってゆく時間を映像でとらえたかったそうだ。
~夏~
少年期から青年期に移行する途中の僧は、心の病で寺に預けられた少女と、虫や蛇が時節が来れば自然と結びつくのと同じように契りを結び、肉体の喜びを知る。
2人は離れられず夜どおし舟の上で抱き合い、朝眠っているところを老僧に見つかる。
少女の病はすっかりよくなってしまっていた。
老僧「どんな薬も(男女の交わりには)叶わんな これも定めであろう」
しかし少女は帰されることになる。
老僧「欲望は執着を生み、執着は殺意を生むであろう」
手を下さずに船を移動させる不思議な力を持ち、小石をねらったものに命中させることが出来る老僧の、少年僧の未来の人生への洞察は、ここでもものの見事に的中する。
少年僧は素朴で柔和な表情の仏像を背負い、少女追いかけ寺を去る。
仏像の表情は、童女と成熟した女性が1つになっていて可愛く妖艶で慕わしい。
2人は結婚し、青年僧はやがて妻に裏切られ、裏切った妻を殺す。
~秋~
2人の刑事に追われた青年僧は、持ち出した仏像を持って寺に戻ってくる。
怒りと憎しみと悲しさを制御できず、「愚か者め、目を覚ませ」と老僧から棒で打たれる。
青年僧は、老僧が床に墨で書いた般若心経(漢字)を、妻を殺して血のついたナイフで彫るよう言い渡される。
自分自身の苦悩をたたきつけるように刻んでゆく青年僧の激しさ、飛び散り渦巻く熱い感情が真っ直ぐに込められた台詞は、韓国映画特有のものに感じられる。
追いかけてきた刑事も般若心経を彫る懸命な青年僧の姿に打たれ、青年僧のそばで蝋燭の炎をかざしたり、彫り終えて倒れ伏している青年僧に自分の上着を掛けたりする。
刑事の気づかいにも韓国の人の人間らしい情の濃い態度がうかがえる。
一夜にして般若心経を彫ると言う修行を成し遂げた青年僧は、穏やかな表情を取り戻し、2人の刑事に連れられて寺を去る。
1人になった老僧は、漢字で「閉」と墨で書いた和紙を目と口に貼り付け、船に薪を積み蝋燭で火をつけて穏やかに自分を荼毘にふし(自死を決行し)蛇の化身となって泳いで寺に戻る。
キム・ギドク監督の霊性を帯びた独特の世界観であると思われる。
~冬~
服役を終えて寺に戻った壮年期の僧役にキム・ギドク監督自身がなっている。
彼が、穴の開いた石の台座を縄で腰に結びつけ、石の仏を抱いて山に登る苦闘のシーンと、彼が子供の僧だった頃、魚や蛙や蛇に小石を縛り付けて苦しめた姿がだぶった。
流れて来るキム・ヨンミン(国民的民謡歌手)の民謡アリランはもう単なる歌ではなく、最初から沸点に達していて、直接こちらの魂に浸透する魂そのもの。
監督は「アリランは辛い時に歌う歌と言うよりも、辛さに伴って出てくるうめき声のようなものだ」と言っている。
ある夜スカーフで顔を全部隠した女性が寺を訪ねてきて泣きながら祈り、男の赤ちゃんを置いて寺を出て行きますが、氷の張った湖に開けられた穴に落ちて亡くなる。
~ふたたび春~
壮年僧は寺で赤ちゃんを育てる。
成長したいたずら盛りの少年僧が亀と戯れる時、亀に無邪気ないたずらをして死に至らしめはしないかとひやひやした。
生きものをそれと知らずにいじめてさえも、死に至らしめるならばそれは少年僧の人生の業となる。
少年僧は、四季折々の美しい自然の中で厳しい修行を行い、人間としての苦しみや喜びを、人や他の生き物との出合いによって味わいながら生きていく。
僧の修行は人知れず繰り返され、衰退し復興し、又衰退し復興しながら春夏秋冬を重ねてゆくに違いない。
秋山まほこ人形館
http://www16.plala.or.jp/mahokodoll/
柴犬カンチの足跡日記
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干し草の日 水野るり子 詩誌「二兎」No.5より 象を撫でるー大きなものへ
詩誌「二兎」No.5 象を撫でるー大きなものへ
「干し草の日」
作 水野 るり子
裏庭に 一人の少女が
恐竜を放し飼いにしている・・・
そんなお話を読んだ※ ※池澤夏樹 「ヤー・チャイカ」より
まいにち、時間になると
五階のベランダに干し草を置いてやる
と、まもなく草原のほうから
一頭の恐竜があらわれて
首をのばし その干し草をたべはじめる
・・・恐竜の目が笑っている
それが少女のわくわくする秘密だった
そんな日を (わたしも) 生きていた
そんな日から 一歩 一歩 歩いてきて
今は あの恐竜の名さえ うろ覚えだ
(でぃ・・・でぃーぷ・・・ろどく?)
(ディープロドク!)
いったい おまえは 今 どこに?
あの大きな時間のなかで
いつまでも おまえに
干し草をやりつづける気でいたのだが。
*
夜ふけになると ふときこえてくる あれは
飼い切れなかったものたちの呼び声?
クジラ、 薔薇星雲、 そして遊ぶゾウたちなどの?
いま、草原をゆく綿毛たちのように光って・・・
沈んでゆく世界の片すみに
一頭の恐竜がうずくまり
その目がかすかに笑っている
★作者は今はもううろ覚えになってしまった恐竜の名を、記憶のなかからやっと呼び戻している。
夜ふけ、ふと聞こえてくるクジラや薔薇星雲、遊ぶゾウたちの呼び声に耳をすます。
作者の耳は星空に広がるダンボの耳?
子供たちの間では「象列車よ走れ!」の曲が歌われている。
ヤー・チャイカ は小説「スティル・ライフ」(中公文庫)に掲載されている。
ヤー・チャイカとは、1963年ボストーク6号の宇宙飛行士テレシコワのコールサイン「私はカモメ」(ロシア語)
絵本「ドード―を知っていますか」(福武書店) 絶滅した動物たちが描かれている。
「世界は音」ナ―ダ・ブラフマー(人文書院)
世界は巨大な宇宙的楽器 J・E べーレント著 大島かおり訳
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最近見た劇場映画
御無沙汰しています。身近な人間に裏切られたショックでかなり落ち込みましたが、多忙だったことで何時間かごとに気持ちが切り替えられるので助かりました。人生がこう言うことの繰り返しだとすると、いつまで踏ん張る力が持続できるのか不安になります。老いて弱ってくると抵抗力や免疫力がなくなってくるかもしれません。職場でいわれのない罠にはめられた友人は、日本語が追いかけてこない台湾に転地療養に行っています。私が行きたい所はイタリア。
まずは最近見た劇場映画を投稿します。日常、怒りや情けなさや、絶望感を飲みこんでばかりいると感想を述べる言葉が湧いて来なくなりますが、映画を見ている時には自分に欠けているものや誤解を受けていることに対しての強烈な覚醒があり、そこが耕され新しい種まきがなされますので生き返ります。特に「悪童日記」や「大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院」には見入りました。
借りて来たDVDで面白かったのは「大統領の料理人」、「ママ/MAMA」、「セデイック・バレ」
「悪童日記」
「大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院」
「ニューヨーク 心霊捜査官」
「劇場版 零 ゼロ」
「猿の惑星 新世紀 ライジング」
「フライト・ゲーム」
「LUCY ルーシー」
「トランスホーマーロストエイジ」
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危ういところで
10月の半ばくらいからログインできない状態になっていたに違いない。
正確なことはわからないが、原因のいくつかは思い浮かぶ。
ブログ事務局からメールで送られてきた登録情報のご案内をパソコンヘルパーに読んでもらいいろいろ試みてもらったのだが、ログインする方法がわからないと言われた。
しかるべき処置ができると見込んで、高額な出張料金を払ってきてもらっていたので落胆した。
ソネットブログの今までの記事を一つ一つコピーして別の会社のブログに移すように言われたが、そんな体力も気力もないのでお断りした。
お手上げ状態だった。
あきらめかけたのだった。
パソコンヘルパーが帰った後、ブログ事務局から送られてきた登録情報変更案内をゆっくり読んで、パソコンヘルパーも私も今までやったことがなかった各種登録手続きを自分で実行してみた。
たちどころに登録手続き完了となり、変更後のメールアドレスでログインできた。
いったいぜんたいなんてことだ。
パソコンヘルパーにそのことを電話で伝えた。
ソネットブログに投稿していらっしゃる何人かの方にはコメント欄でお別れを言ってしまった。ごめんなさい。
最近見た映画 「ドラキュラZERO」
己に悪霊を乗り移らせて力を得る巧みさと悲しさ。
最近読みふけった小説 悪童日記三部作 作者 アゴタ・クリストフ
舞台はハンガリーのブタペストとオーストリア国境近くに実在する小さな町クーセグ。
双子の少年が冷酷な環境に耐え打ち勝つためにとった悲惨な行動は、お互いを殴りあって鍛えあうこと。
秘密裡にしたためたノート。ナチズムからスターリニズムへの移行。
「悪童日記」
「ふたりの証拠」
「第三の嘘」
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ログインの失敗と成功を繰り返す
仕事では、面白おかしくかなり突っ込んだ楽しい会話がないと、だーれもついてきてくれません。
ありがたいことに長年生きのびてきたので、あわやのエピソードが沢山あります。
出血サービス並みの時を過ごして、皆さんのおかげでとても元気です。
帰宅後ぐったりした私の脳内メンテナンスの絵本です。
「ちびすけ どっこい」わらべうたえほん 案こばやしえみこ 絵ましませつこ こぐま社
こぐま社からの絵本紹介
ちびすけどっこい はだかでこい ふんどしかついで はだかでこい。
足腰もしっかりしてきた子どもたちは、大人におすもうの相手をしてもらうのが大好き!そんな子どもたちにぴったりのこんなわらべうたが絵本になりました。このうたにあわせて、ウサギさん、タヌキさん、クマさんと、男の子が元気よく四股を踏んで、「はっけよーい のこった」と勝負をします。最後まで勝ち抜いて優勝したのは誰かな?お父さんも出番あり!のうたですよ。
★最初にソネットブログに投稿したのは、1人の管理人が何人かの人を集めてソネットブログに記事を投稿させるというやり方をとっている集合体ブログだった。
7人くらいいたように記憶している。
そこから離れて、管理人が指示したソネットブログに1人で投稿するようになった。
その時ログインするために使用するメールアドレスは私のほんとうのメールアドレスとは違っていた。
管理人が作ってくれたメールアドレスだった。
パソコンヘルパーにそのことを質問した時にはそれでよいと聞いた覚えがある。
しばらくはそれでよかったのだが、管理人が登録していたメールアドレスがなぜか利用できなくなる時が来た。
「登録情報の各種手続き」を飛ばしてもらって、メールアドレスを変更し、変更手続き完了後、ログインできた。
今回またログインできない状態にあったが、あれこれいじっているうちにログインできた。
どうやってどうなったのかをしっかり記録しておかなければ、何度でも同じ状態になる恐れがある。
あやふやなまま、いじっているうちに目的達成してしまう悪い癖?がある。
これからどうしょう?
私の脳内メンテナンスブログ
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夢見るような薔薇と衣装と古城
<美女と野獣>フランス ロココ趣味の調度品も幻想的
破産した父親が帰途につき、途中で吹雪にあってたどり着いたのが、森の奥にある古城だった。
末娘のベルが欲しがっていた薔薇を雪の古城の庭で見つけ一輪折った途端に、「俺のいちばん大切なものを盗んだな」と野獣が吠え襲いかかってきた。
見方によってはそのままでも美しいライオンに似た野獣。
野獣になる前は人間の男だったが、雌鹿に変身した愛する王女を矢で射殺していた。
愛してくれる人間の女性が現れない限り、男は人間には戻れないのだった。
父親は野獣に命を取られそうになるが、1日だけ家族に会うことを許され帰宅する。
娘のベルは、父親の代わりに古城に向かい、野獣から与えられた美しいドレスを次々に身につける。
ベルは一人の女性(雌鹿に変身することができる王女)の夢を見た。
下の写真の王女(野獣が最初に愛した女性)と衣装が私の好みです。余計なことですがね。
人間の女性の愛を得て再婚することができた野獣を、この世で不幸な亡くなり方をした王女は許せたのでしょうか。
ベルは一人の女性の夢を見た。
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一人暮らしのおじさんがカンちゃん家に静養に来ています
しっかりガードするカンちゃん
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闇がなければ・・・・ 「陰陽師」11巻 白虎
「陰陽師」 作画岡野玲子 原作夢枕獏 白泉社 全13巻
「あらゆる種は、闇がなければ発芽しないのだ」 陰陽師11巻白虎より
昨年暮れからひきつづき、夜な夜な目がさえた時に1巻から読むというよりも眺めて過ごしている。
残り少なくなって11巻まで来た。
物語半ば、陰陽師の安部清明(あべのせいめい)と源博雅が闇について語り合っているところがある。
言葉を発しているのはほとんどが清明であるが。
私にはそのような体験がなく、俗悪で雑な生活の中で想像するばかりなので、よくは理解できないが書き出してみることにした。
清明
「人の心にあるなどという闇や、鬼の棲むなどという闇は、闇のうちにも入らぬ。」「真の闇の中に存在できるのは粋美(すいび)だ」 「真の闇とは、鍛え上げられ、研ぎ澄まされた、不純物のない剣や、磨きあげられた鏡と同じだ」
「命取りになるのは、自らの中の、曇った暗黒、すなわち情念だ」 「だから普通の者は、闇へは近づかない」
博雅
「おぬしは、その闇の底の底に立っているのだな」
清明
「たとえ深い井戸の底から、星を射抜くという雲をつかむような不可解な事も、それが最上で一番効率がよくそれ以上の方法がなければ実行する」
「あらゆる種は、闇がなければ発芽しないのだ」
★見に行けた劇場映画は「6才のボクが 大人になるまで」
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強迫性障害をかかえた名探偵 モンクの魅力
名探偵モンクは、強迫性障害をかかえていて、額縁や物のゆがみやずれを直して回る。
高所・暗所の恐怖症がある。
抜群な記憶力と推理力を持っていて、一度見たものは忘れず、違和感のあるものを見つ出すのが得意である。
左右対称形を好む。数は10や100などキリの良いものを好む。
柱や突起物をすべて触って歩く。握手をした後は除菌テッシュで必ず拭く。
複数のジグゾーパズルを同時に完了させることができる。
絵の具を混ぜるのが嫌いなので絵を描かない。
料理も混ざり合うのがいやである。
などまだまだ苦手なも嫌いなものが多数ある。
サンフランシスコ市警の刑事として働いていたエイドリアン・モンク(トニー・シャルーブ)は、妻のトゥルーディーが殺害されたことによって強迫性障害がひどくなった。
仕事を休職し、自宅に三年間閉じこもった後、看護師である明るく面倒見の良いシャローナ・フレミングをアシスタントに採用し(途中でアシスタントはナタリーに変わる)、警察の犯罪コンサルタントとして様々な恐怖症と戦いながら、復職とトゥルーディー事件の解決を目指している。
モンクとアシスタントとの間では、恋愛感情は皆無である。
妻のトゥルーディーがいない悲哀の中、モンクのけなげさが漂い、強迫性障害はユーモラスな態度として現れる。
上司のストットルマイヤー警部や警部補のディッシャーからは能力を買われてもおり信頼されている。
精神分析医にカウンセリングを受けている。
強迫性障害(きょうはくせいしょうがい)とは
不合理な行為や思考を自分の意に反して反復してしまう精神疾患の一種。
同じ行為を繰り返してしまう「強迫行為」と、同じ思考を繰り返してしまう「強迫観念」からなっている
筆者は「モンクはスーパー店員」(シーズン3 第7話)を2014年12月にテレビで見て
庶民的で頭脳明晰なモンクのファンになった。
以後、つたやのDVDを借りて見ている。(シーズン1~シーズン8・アメリカ ケーブルテレビ制作)
大手スーパーの優秀な店員が荷物の下敷きになり亡くなった。
スーパーの警備主任ジョーは、モンクの元相棒刑事で、コカイン着服疑惑で警察を辞めさせられていた。
モンクは内部の人間の犯行だと推理し、ジョーの麻薬着服事件の濡れ衣も晴らす。
鯨のデール
巨体なのでベットに寝て暮らしている 陰険な大富豪
モンクの妻のトゥルーディーの殺人事件にかかわっているらしい。
★近日テレビ放映
2015年1月7日(水)23時~24時 4BS(日テレ)全16話 シーズン3 第9話「ぶっ飛びモンク」
2015年1月14日(水)23時~24時 4BS(日テレ)全16話 シーズン3 第10話「求むアシスタント」
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宮沢賢治のオノマトペ集
「宮沢賢治のオノマトペ集」
栗原敦監修 杉田淳子編 尾崎仁美・手描き文字 ちくま文庫 ¥880+税
157のオノマトペを紹介している
日光の照射が少ない冬の日の私の睡眠導入の本になっている「宮沢賢治のオノマトペ集」。
オノマトペ(フランス語)とは、擬音語、擬態語、(擬声語)のことである。
日ごろ慣れ親しんだオノマトペ「つるつる」「ユラリユラリ」「さらさら」「とっぷり」「ごとんごとん」も、宮沢賢治の童話の中で使われるといっそうイメージが豊かになる。
私たちが日常的に口にする、擬音語、擬態語(オノマトペ)は、賢治童話の中で、質感としても視覚としても、より鮮やかに体感できるように使われている。
「つるつる」は「、まっ青なつるつるした空」(なめとこ山の熊より)
「ユラリユラリ」は、「東の空が白く燃え、ユラリユラリと揺れはじめました」(いてふの実より)
「さらさら」は、「草がからだを曲げて、パチパチ云ったり、さらさら鳴ったりしました」(風の又三郎より)
「とっぷり」は、見ると東のとっぷりとした青い山脈の上に、大きなやさしい桃いろの月がのぼったのでした(かしはばやしの夜より)
「ごとんごとん」は、風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました(注文の多い料理店より)
本の帯には「うるうる、かぷかぷ、キインキイン、ぐんにゃり、コチコチ、ごとんごとん、すぱすぱ、どほん、にがにがにがにが」と言うオノマトペが載っている。
私が個人的に、季節によってもたらされる自然現象にあいながら、その時々、口に出して味わっている言葉は、
「どっどど どどうど どどうど どどう」(風の又三郎より)
「キックキックトントン キックキックトントン」狐の紺三郎が足を踏みならして踊る様(雪わたりより)
「かぷかぷ」(クラムボンはかぷかぷわらったよ・クラムボンとは水のあぶくのことらしい)(やまなしより)
「がやがやがやがや」(どんぐりと山猫より)
「ギイギイギイフウ ギイギイフウ」ほうき星がたてるおもしろい音(双子の星より)
「ギギンザン、リン、ギギン」宝石の草花が露を払って起き上る音(十力の金剛石より)
「しゃりん しゃりん」風が来たので鈴蘭は、葉や花を互いにぶっつけて、しゃりんしゃりんと鳴りました(貝の火より)
「どってこ、どってこ」 たくさんの白いきのこが踊る様(どんぐりと山猫より)
「どしどし」ジョバンニは手を大きく振ってどしどし学校の門を出て来ました(銀河鉄道の夜より)
個人的に大好きなのは、「お日さまは、空のずうっと遠くのすきとおったつめたいとこで、まばゆい白い火を、どしどしおたきなさいます」のどしどしです。(水仙月の4日)
山が盛り上がっている様子を「うるうる」(まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのように、うるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました・どんぐりと山猫より)などまだまだ書き出したいものは沢山あるけれど、「宮沢賢治のオノマトペ集」という本は、賢治童話を何度も読み返すきっかけになっている。
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現実世界と心象世界の境界
私は「宮沢賢治 宝石の図誌」(板谷栄城著)を20年前に入手していました。
「宮沢賢治 宝石の図誌」 板谷栄城著
本物の宝石や原石に出会ったことがありませんでしたので、この本の中に紹介されている賢治童話「十力の金剛石」の中に現れる宝石をイメージする能力がいまひとつ貧弱で、絢爛豪華な一大宝石絵巻と言われている童話を実感として読み切れていませんでした。
現在も、宝石の標本を集めた本とは全く違う趣向の「宮沢賢治 宝石の図誌」の、B5の画面いっぱいに広がる宝石類、玉髄や孔雀石やオパールやエメラルドや天河石(てんがせき・青に白い筋がはいっていて青い霜降り肉といった感じの宝石)や金剛石(ダイヤモンド)などなどの写真をただただ眺めては、感嘆のため息を吐いているだけです。
石ッコ賢さんと呼ばれ、宝石商の仕事をしようとも考えていた賢治は、宝石に詳しいのは当たり前でした。
現実世界で風が「どうと」吹いてきたりすると心象世界に続いている境界に立っていることになります。
板谷栄城さんは、「宮沢賢治 宝石の図誌」の中でこう書いておられます。
「実は風に草穂が波立つと言う時には、賢治の心が現実の世界と心象の世界の境界付近にあるのです。したがってこの部分は、このあたりから物語が心象の世界に入っていくということ示していると考えてさしつかえありません」
私(ブログ主)にとっても「このあたり」はとても興味深く心ひかれる大事な場所です。
童話「十力の金剛石」の中に出てくる王子は、自分の青い帽子の飾りの青い蜂雀(南北両アメリカにすむ大人の親指大の鳥で空飛ぶ宝石と言われている)に、どうして歌ったり飛んだりできるのかとたずねます。
なぜかと申しますと、帽子の飾りの青い蜂雀は無機物なので生きているように語るのが不思議だったからです。
青い蜂雀は答えます「はい。ここからは私共の歌ったり飛んだりできる所(心象世界)になってゐるのでございます。ご案内致しませう。」
板谷栄城さんが申されますには、蜂雀たちの「ここからは私共の歌ったり飛んだりできる所になってゐるのでございます。」という言葉は、ここからはっきりと心象の世界に入ったということを示しています。2人(王子とつれの大臣の子ども)が蜂雀のあとをついてゆくと、にわかに辺りが明るくなります。
めくるめく心象風景が現れます(ブログ主の言)
童話「十力の金剛石」の一部
ザッ、ザ、ザ、ザザァザ、ザザァザ、ザザァ
ふらばふれふれ、ひでりあめ、
トパァズ、サファィァ、ダイヤモンド
宝石の雨はあらゆる小さな虹をあげました。
金剛石(ダイヤモンド)がはげしくぶっつかり合っては青い燐光を起こしました。
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「宮沢賢治 宝石の図誌」板谷栄城著 (2) 読者による思い込みと勘違い
「宮沢賢治 宝石の図誌」 板谷栄城著
宮沢賢治 (1896年~1933年)享年37歳で永眠
宮沢賢治と金襴豪華(きんらんごうか)な宝石文学の取り合わせをいぶかしく思われる人に
~読者による思い込みと勘違い~
<板谷栄城さんのまえがきとあとがきより>
宮沢賢治と言うとたいていの人が合言葉のように名高い「雨ニモマケズ」を思い出し、うつむいて大地を見つめながら、農民の苦しみに思いをはせる苦悩に満ちた姿を、思い浮かべることが多いのではないのでしょうか。
そしてそのような人たちの中には、賢治がいつも質素な労働服を身にまといつつも粗末な食事をし、およそ贅沢などとは縁の遠い清貧の人であったと、思い込んでいる方も少なくないかもしれません。
そのような先入観を持った人たちにとって、賢治と宝石という取り合わせは、おそろしく不似合いなものに映ることでしょう。
詩集「春と修羅」や童話集「注文の多い料理店」を出版したころは、賢治は新しい物の好きなモダンでハイカラな青年で、白い麻の服に手製のネクタイ、パナマハットに赤革の靴で旅していました。(まえがきより)
賢治の下宿代(食事付)が一カ月15円のころに80円~90円の給料をとり、それをすべてレコードや本の購入貧しい生徒たちへの援助に使っており、賢治の生活は裕福で優雅であったと言っていいでしょう。
花巻農学校の男子生徒たちを当時一流のレストランに連れて行って、ナイフやフォークの使い方を教えたりもした。
浮世絵の大量の蒐集、上京して楽器の購入(チエロ)やエスペラント語、宝石の研磨技術の習得、採算の取れない商売への考案(ブログで後述)などなど。
賢治をめぐる8人の女性がいて、お見合いもしている。
「宮沢賢治 宝石の図誌」には、賢治の名高い農民への献身や「みんなの本当の幸せ」をもとめるという崇高な精神は見当たらない。
賢治が農業や農民や農村のことに関心を抱くようになったのは意外に遅くて、花巻農学校の教師時代の後半、年齢にして二十九歳のごろからだった。そしてそれまでの賢治の頭の中は法華経の布教のことと、心象文学で世に出ることでいっぱいでした。(あとがき)
伝記などには賢治が幼いころから貧しい農民に同情していたとあるものですから、なんとなく賢治は生涯を通じて農民の苦悩を苦悩としたというように、勘違いされがちだったです。
若いころの賢治が農業に無関心だったことは、14歳のころから年数にして10年ほど、数にして800余首ほど詠んだ短歌の中に、農民や農村のことにふれてものが皆無であるということからも明らかでしょう。
<瑠璃>
瑠璃は、賢治が心に描いた極楽浄土の地面の色であり、そしてまた異次元の世界の色だった
★光でできたパイプオルガン・・・ティンダル現象
空気や溶液の中に細かい霧や塵が散在しているときに見られる
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい
(楽才に恵まれた教え子を激励している詩の一部)
~~~つづく~~~
★以後、子供向けに編集された賢治童話以外の童話、賢治最後の手紙(自分の傲慢さについて語ってる)、 賢治が出会った怪異や幽霊話も紹介します。
人情味あふれる柴犬カンチの足跡日記(ブログ主がファンなのです)
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